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一般書

翰苑(かんえん)2015.3vol.3

注文する書籍の紹介近大姫路大学 人文学・人権教育研究所 著
私が出会った外国につながる子どもたち
―ベトナム人の子どもたちの現状とその後―

金川香雪

Ⅰ はじめに

 一介の小学校教師の私が、一九九五年四月から姫路市立花田小学校でベトナム人の子どもたちの日本語指導担当者として支援を始めて以来一九年余りの間、ベトナム人を始めとする外国につながる子どもたちに支えられて教員生活を送ってきた。(一九九九年四月から隣接する城東小学校、二〇〇八年四月から東小学校)
 現在勤務している姫路市立東小学校は、住宅街をはさんで北に市の美化センターや食肉加工工場、公営住宅、国道2号線をはさんで南には町工場や大型ゲームセンターを持つ店舗がある商・工・住混在地域にある各学年二クラスの小規模校である。 
 各学年にベトナム人の子どもが在籍しており、その他に韓国・中国・フィリピン・ペルー・フランス・ナイジェリアにつながる子どもが学んでいる。まったく日本語の話せない子どもが突然ベトナムからやって来ることがあるが、学校ではルーツの違いにこだわることなく仲良く生活している。また、隣接する小中学校にも、ベトナム人の子どもが多数在籍し、お互いに行き来している姿がみられる。
 ニューカマーと呼ばれるベトナム人の子どもたちの現状を通して、言葉や文化・習慣の異なる国で生きていくとはどういうことなのか、多文化共生とはどういうことなのか、何が大切なのか考えていきたい。

Ⅱ 取組み
一 現状
 ベトナム人の子どものほとんどは校区内の公営住宅に居住している難民二世であるが、再婚呼び寄せ家族として突然来日した、まったく日本語の話せない子どももいる。
 日本生まれの子どもは、ほとんどが近くにある市立保育所で乳幼児期を過ごし、日本語は保育所で獲得してくるので小学校入学時までには子どもが使う日常会話は話せるようになっている。しかし、乳幼児期にベトナムの祖父母に預けられた子どもや、ベトナムから来日した子どもは日常会話ができず、小学校での集団生活に馴染むのに時間がかかっている。
二 私の出会った
  ベトナム人の子どもたちとは
 私が今までに出会ったベトナム人の子どもたちは、四つのカテゴリーに分けられる。
○インドシナ難民として来日した子ども(一世)
〈例〉乳児の時に香港の難民キャンプから家族とともに来日した。(ベトナムのパスポートがない。)
○インドシナ難民の子ども(二世)
〈例〉保護者が難民として来日し、日本で生まれた。(ベトナムのパスポートがない。)
○インドシナ難民の呼び寄せ家族(ODP)
〈例〉家族の内の誰かが難民として来日し、日本での生活の基盤ができてから呼び寄せた家族。(ベトナムのパスポートを持っている。)
○インドシナ難民の再婚呼び寄せ家族
〈例〉日本での結婚生活が何らかの理由で破綻し、ベトナムに住んでいる人と再婚して呼び寄せられた新しい家族。再婚相手の連れ子も含む。(ベトナムのパスポートを持っている。)
 一口にベトナム人の子どもたちといっても、日本で定住する経緯が異なっており、生活背景や保護者の意識、宗教(クリスチャンか仏教徒か)等が異なっているので同一視することはできない。

三 インドシナ難民とは
 一九七五年四月三〇日にベトナム戦争が終結し、インドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)では新体制の下で迫害を受ける恐れのある人々や新体制になじめない人々が難民として周辺諸国に脱出した。総勢一四四万人に上ると言われ日本の受け入れは一一三一九人となっている。
 我が国には一九七五年五月に千葉港に初めてのボートピープルが到着した。当初は一時滞在を認めていたにすぎないが、一九七七年から急増したため内外からの定住受け入れを求める声が強くなり、政府は一九七八年四月二八日の閣議了解でベトナム難民の定住を認めた。さらに一九八〇年六月一七日に「合法出国計画(ODP)」やアジアの難民キャンプに滞在する難民についても定住受け入れを認めることになった。
 一九七九年一二月には、最初の日本定住希望者のための施設が、姫路市仁豊野でカトリック教会が運営していた一時滞在施設に隣接して開設された。(一九九六年閉所)
 国内には姫路の他に、一九八二年二月に長崎県大村難民一時レセプションセンター(一九九五年閉所)、一九八〇年に神奈川県大和定住促進センター(一九九八年閉所)、一九八三年四月に東京都品川区に国際救援センター(二〇〇六年閉所)が開設された。(難民事業本部ホームページ参照)
 難民と言われている人々は、ベトナム社会主義共和国の体制に馴染めず脱出してきたので現政府の国籍を持たない。したがって私が出会った難民の子どもたちも国籍がなかった。便宜上日本政府側がベトナム国籍と表記しているが、実際は無国籍である。
 在日ベトナム人の在留資格で多いものは、「定住者」「永住者」であり、難民として来日したベトナム人とその家族や彼らにつながる人々である。就労、活動ともに制限はなく日本人と同じように働き学ぶ権利を持っている。最近は、生活の利便性を考えて日本国籍を取得する人が出てきた。「日本の国籍を持っていると住宅取得時にローンが組め、海外のどこでも旅行することができ、社会に信用される。」と、あるベトナム人青年は語ってくれた。帰る国がなく、国籍を持たない若者の思いを推し量ると切ない。 

四 子どもたちの抱えている問題
(一)来日年数の浅い場合
・日本語が理解できないため集団の中に入れない。
・日本語が理解できないので学習についていけないという理由で学年を下げて編入した場合は、徐々に周囲の子どもたちとの精神的な開きを感じるようになる。
・文化や習慣の違いに戸惑い、学校生活に馴染むのに時間がかかる。
(二)日本生まれの場合
・日本語で会話できるようになるとベトナム語をあまり使わなくなり、ベトナム語を話す親との意思疎通が困難になる。
・日本語での会話が十分ではなく日本の学校生活を知らない親に、進路の相談ができないので希望する進路を選択できない場合がある。
・日本の家庭との躾の違いに気付いてくると、ベトナム式の方法や考え方で接する保護者の価値観が理解できず反発する場合がある。
・学年が上がると学習内容が難しくなるため、日本語での日常会話ができても獲得語彙不足により教科内容を理解することが難しい。
○名前について
・名前に対する思い
 ベトナム人の子どもたちに初めて出会った頃は、「日本の名前をつけてほしい。」とよく頼まれた。自分の体操服に縫い取られたカタカナの名前が恥ずかしいと全員が言った時には、彼らの思いに気付かずにいた自分が情けなく、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。現状を変えるために、ベトナム人の子どもたちには自分のアイデンティティを大切にしながら日本で生きていくことの大切さと、両親の願いのこもった自分の名前を大切にしてほしいという思いを伝えた。また、彼らを取り巻く日本人の子どもたちには、ベトナム人の子どもたちの願いやがんばりを伝え、ベトナム文化の紹介をしたり名前の由来を伝えたりすることでベトナムについて理解する機会を設けてきた。その結果、通称名で入学してきた子どもが自分の意志で本名に戻す姿が見られるようになった。
・通称名を名乗る 
 近年、また日本名で入学してくる子どもが増えてきている。現在本校では、二二人のベトナム人のうち三人が日本名で通学している。保護者が小学校入学前にいじめられないようにと本名から通称名に変えて来るのである。ベトナム人全員が集まる機会がなかった時は、日本名の子どもは日本人だと思われていた。小学校に入学しワールドルームで勉強するまで、自分は日本人だと思っていた子どももいる。最近は日本で小学校教育を受けた若い保護者が見られるようになり、日本で暮らしていくには日本名の方が有利であると考えて通称名を名乗らせる場合が増えてきた。
・現在の状況
 皆、今ではベトナム人だからいじめられるのではないかというのは取り越し苦労であったと感じている。また、「ワールドルーム」ではベトナム語の名前を写真と共に掲示してあるので、どの子も自分の本名を意識するようになってきた。
 子どもたちも保護者も、本当は自分の本名を堂々と名乗りたいという思いを持っているが、現実には子どもの学年が上がるほど、日本で生活していく上で自分を護るには通称名を使う方が良いと感じるようになっていくのではないか。小学校、中学校と本名で通学した子ども達も、高校進学時に名前について考え悩むことが多い。
 一方、父親がナイジェリア人の姉弟の母親は、入学式を過ぎると自分の子どもの名前を本名である日本名から、父親の姓であるナイジェリアの名前に変えることを申し出てこられた。入学式当日に張り出された名前を見てカタカナ名の子どもが他にもいることがわかり、父方の呼び名で学校生活を送らせたいと考えたのであろう。その背景には本校に違いを受け入れる素地が育ちつつあるからだと考える。

五 進路について
(一)現状
 日本生まれベトナム生まれに関わらず、学年が上がるにしたがって、学習内容が難しくなりついていけなくなる傾向がみられる。日常会話では使わない学習言語が多くなると、書かれてある事柄がわからない。そのため、小学校では様々な夢を持っていても中学校になり実現不可能であると諦めてしまう子どもが多く、中学卒業後親と同じ仕事に就くしか先が見えない現実があった。
 最近は、現実を変えたいという思いを持つ子どもが増え、高校・大学・専門学校に進学し未来を自分の手で切り開いていく姿がみられるようになってきた。
しかし、日本語が理解でき、取り立てた支援が必要ではないと思われている子どもであっても、希望する学校に進学できるわけではない。
 ベトナム人の家庭では、日本の学校制度についての情報が少なく、どんな学校があるのか、その先どのような就職につながっていくのか保護者も子どもも分からない。中学3年生で進路の説明が行われるころに準備を始めるのでは間に合わない。
 どの子も皆、学費が安い公立の全日制高校に進学することを望んでいるが、日本語は学校で習得するのみで、ほとんどの子どもが家庭ではベトナム語で生活しているので、日本語の語彙力育成は、学校教育に頼らざるを得ない。

(二)取組み
 小学校の時から、進路を見据えた生活面や学習面の支援を始め、情報を伝えていかなければならないと考えて、ベトナム人の先輩の体験談を聞く機会を設けてきた。また、高学年の子どもたちには進路支援ガイダンスに参加してどんな高校があるのか、何について学べるのか理解する機会も設けている。
 進路を切り開いていく先輩たちの姿に接することは、自分の力でどんな選択肢があるのか、夢を実現させるためにはどんな努力をすれば良いのかを考える際に、難しい説明を聞くより大きな説得力がある。
 自己実現する力をつけていくために必要な、日本語力や学力をつけるための学習・生活全般の支援は小・中・高の一二年間かけて行う必要があると考える。

六 自己を確立させるための
  取組み(ワールドルームにおいて)
  ―日本で生きていく力をつけるために―
 私が関わった子どもたちは定住者・永住者であるので、日本で生きていく力をつけ、自分で人生を切り開いていかなければならない。子どもたちの多くは保護者の助けが期待できないだけでなく保護者を何らかの形で助けている。彼らに日本で生きていくための力をつけるために、ワールドルーム(日本語・学習支援教室)で取組んできたことを次に挙げる。
○日本語学習・教科学習支援
 日本語指導の必要な子どものための、日本語学習や教科学習の取り出し指導を行って、該当学年の学習内容が理解できクラスの学習についていけるように支援している。
(二)ベトナムの獅子舞(ムーラン)の地域での披露
 ベトナム人の子どもたちのアイデンティティを高めるための活動として、ベトナムの獅子舞「ムーラン」を練習している。姫路市の「国際交流フェスティバル」や、地域で開催される「さくら祭り」に参加して披露することが励みになっている。
 初めてベトナム人の子どもたちの日本語指導担当者になった(一九九五年)花田小学校で「先生、私たちには自慢できるものがなにもない。」と悲しい顔で言われて驚いた。子どもたちは母国を日本より下の国なので恥ずかしいと心の中で思っていたのである。何とか子どもたちが母国を誇りに思えることはないかと探した結果、ベトナムには、「ムーラン」という旧正月等に舞われる日本の獅子舞に似ている麒麟の舞があることを知った。当時の保護者の力を借りてベトナムからムーランに使う道具一式を船便で取り寄せ、保護者に教えていただきながら練習を始めた。子どもや保護者と一緒に船便で届いた大きな木箱を開けた時の歓声は今でも忘れることができない。
 その後、一九九九年に城東小学校に移動すると、子どもたちが「花田の子はいいな。ムーランがあって。私らもほしい。」と言い出した。そういうことならと二体目の「ムーラン」を取り寄せて練習が始まった。どの子も音楽会で全校に披露することを楽しみに自分たちで技を考え後輩に引き継いでいった。
 二〇〇八年四月に現在の東小学校に赴任した時も、子どもたちが「何で東にはムーランがないの。」と言った。皆、母国を誇りに思える物がほしかったのである。高学年になると、ムーランの練習を始めて先輩より素晴らしい技を披露しようと頑張る姿が見られるようになってきた。
(三)作文を書くことにより自己をみつめる
 高学年では、自分の家族のことや今考えていることを日本語とベトナム語で作文に表現する活動に取り組んでいる。日本生まれの子どもたちは、ベトナム語で書くということが苦手であるので、家族に聞きながら日本語をベトナム語に置き換える作業をする。ベトナム生まれの子どもは、ベトナム語で書いた文章を友達やサポーターの力を借りて日本語に直す。ベトナム人である自分を見つめる機会として年に一回、作文を書くことを大切にしてきた。

(四)日本語・ベトナム語での
   スピーチコンテスト参加
 自分が書いた作文を、年に一回開催される「日本語・ベトナム語スピーチコンテスト」に参加して、母語と日本語で思いを伝える活動を行う。
 兵庫県派遣の「子ども多文化共生サポーター」や姫路市派遣の「バイリンガル支援員」の協力のもと家庭と連絡を取りながら進めている。
 家族や自分のルーツについて見つめる中で、ベトナム人としての自分が今後どのように日本で生きていくのか考えるきっかけになっている。それが、進路選択につながっている子どもは多い。母語に対する思いも、これを契機に大切であると認識する子どもの姿が見られる。母国に誇りを持つことが、卒業式の呼称を通称名から本名に変えるという行動につながっている。

七 相手を理解するための取組み(各学年)
  ―各学年に応じた道徳学習や体験交流活動―
 外国につながる子どもたちが、自己実現する力をつけるだけでなく、一緒に生活している日本人の子どもたちがどのように相手を理解し、共生していくか。外国につながる子どもと日本人の子どもの双方の心を育てることが必要である。そのために、学年に応じた体験交流活動を始めとする様々な活動を計画してきた。

(一)一年生:友だちの国を知ろう(中国)、アジアの遊びをしよう(二年生と一緒に)
 学年に在籍している外国につながる子どもたちを理解するための体験活動を行う。
(二)二年生:おとなりの国を知ろう(韓国)、アジアの遊びをしよう
 学年に在籍している外国につながる子どもたちを理解するための体験活動を行う。
(三)三年生:発見! 世界の文化(新ほほえみ)
 在籍している友だちの国から広げて、姫路市の学校給食に出てくるメニューから、身近な国について知ろうとする姿勢を育てる活動を行う。
(四)四年生:ぼくの名前(新ほほえみ)
 スピーチコンテストに参加したベトナム人先輩の作文をもとに、在籍しているべトナム人の子どもたちがどのような思いで生活しているのかを知り自分の名前について考える機会を持つ。
(五)五年生:六年生の総合的な学習の時間の活動に参加
 友だちの国を始めとする身近な国について理解を深める活動に参加して考える。
(六)六年生:文化の背景を考えてつながり合おう 日本・韓国・中国・ベトナム(総合的な学習の時間)
 総合的な学習の時間に、ベトナム・韓国・日本の共通点や相違点を調べることにより、外国につながる友だちのことを理解する活動を行う。また、難民として日本に来たゲストティーチャーの体験談を聞くことにより、ベトナム人の友だちがなぜ日本にいるのかを理解する学習をする。(学年の実態によりテーマや取り上げる国は異なる場合がある。)


八 地域との連携
(一)日本語・学習支援教室(城東町補習教室)での土曜日の学習
 べトナム人の子どもたちの支援のために立ち上げた日本語・教科学習支援「城東町補習教室」で、生活・日本語・学習支援等を毎週土曜日午後一時三〇分から行っている。現在、幼児・小学生・中学生・高校生の子どもたちが学習している。
(二)姫路ベトナム人支援者懇話会主催「日本語ベトナム語スピーチコンテスト」に参加
 小学校高学年や中学校になって来日したベトナム人少年や青年の中には、日本の学校生活に順応できず、居場所を求めて問題行動をとる者がいた。小学校では、頑張ったら認められるが中学校になると成績や点数で評価され、日本語が十分ではない自分の能力は生かされないことを感じて学校から離れて仕事に就く者もいた。彼らの自尊感情を高める機会を作ろうと、地域内の中学校連合PTA会長を始めとする有志で「ベトナム人支援者懇話会」を立ち上げる。それから現在まで、毎年「スピーチコンテスト」を開催し第一〇回を終えた。子どもだけでなく、子どもと一緒に日本語の勉強をがんばっている母親や、就職した若者も参加している。日本での自分の生活や思いを一人でも多くの人に知ってもらおうという姿が胸を打つ。
(三)市川さくら祭りや姫路市国際交流フェスティバルにおけるベトナムの獅子舞披露
 ベトナムの獅子舞「ムーラン」を練習し、毎年春に開催される地域行事「さくら祭り」においてベトナムの伝統文化を披露している。毎年楽しみにしてくださっている地域の人々に支えられ励まされて子どもたちは技を磨いている。また、一〇月最終日曜に開催される姫路市国際交流センター主催の「姫路市国際交流フェスティバル」の出演依頼を受け、東小・花田小・城東小の三校合同ムーランチーム「シンチャオ・ムーラン」を結成し出演してきた。他の学校で学ぶベトナム人の仲間たちと一緒に練習し、大勢の人の前で披露できることに、子どもたちは大きな喜びとベトナム人としての誇りを感じている。
 また、がんばっている子どもたちの姿を見る保護者の嬉しそうな顔は、子どもたちの背中を押してくれている。
(四)自治会や子供会、民生児童委員との連携
本校区に暮らすベトナム人の子どもたちの様子や、新たに来日した子どもについて、在住している町の自治会や子供会、民生児童委員が家庭状況を把握し学校との連絡会で情報を伝え合う機会を持っている。朝の登校時に、子どもに異常が見られたらスクールヘルパーを通してすぐに学校に連絡が入る。夜に子どもが家に帰らずうろうろしていても地域の方が知らせてくださる。このように、常に子どもたちに温かい声掛けをしてがんばっている姿をほめてくださる地域の目によって子どもたちは守られ、育てられていることを感じずにはいられない。
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特集より
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