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一般書

近代の虚妄と軋轢の思想

注文する書籍の紹介綱澤 満昭 著
まえがき

 危惧の念を抱いていたことが、やはり現実となってきている。
焦土と化した日本列島の中で、草を食み、泥水を飲み、露命をつないだ私たちが生命をかけて獲得したものはなんであったのか。
 それは肉体化、土着化しない軽薄な民主主義や平和主義ではなかったはずである。ところがである。その軽薄と呼んだ民主主義や平和主義までもが、潰されようとしている昨今である。暗黒への道が私たちを待っている。
 いま「私化優先」の「哲学」は燎原の火のごとくすさまじい。「死」の淵から覗く「生」はなく、枯渇することを知らぬかのような「生」の豊熟に酔う風景の連続がある。
 人としての道は軽蔑され、何かのために、ということは嘲笑の的とさえなっている。こういう雰囲気のなかで現代人は生きている。
 それこそ嘲笑にあたいすることであるが、この雰囲気によって、体制批判が可能となると思っている「知識人」は多い。
 「公」に不忠であることが善で、「私化」の方向のみが旧制を打破し、明るい未来を切り開くものだとの信仰は、思いのほか人気を維持している。自分を犠牲にするという散華の精神を放擲することによってしか、未来はないかのように高揚する人たちもいる。
 散華することを批判し、嘲笑することは、安っぽい近代主義でも可能である。
 絶対死に向かう情念の根源にあるものを、単純に捨ててはなるまい。エゴを一方的に拡張していけば、いつの日か、明るい未来が到来するなどと考えてはならない。
 断崖絶壁に立ちながら、権力からも、民衆からも見放され、しかもなお、敢然と進まねばならぬ草莽の決断など、そういう類の人にはわかるまい。
 禁欲を伴わないエゴの拡張、追求というものは、それがどのような仮面をかぶろうとも、体制順応のかたちで終結する。
 いま、日本人の多くが牙をむくことのない順応と平和の快適さを実感として持ってしまった。にせものの個人主義や自我の確立というもので「進歩的文化人」として通用することも知ってしまった。
 現在、マス・メディアを媒体にして「知識人」、「文化人」ぶりを誇っている厚顔をみればいい。
 「仁」も「義」もない彼らの生活の論理が、国家支配の論理を超えられるはずもないが、彼らの心中にはそのことを希求する気力も精神も、はなからありはしない。
 滅びの美学というものが、われわれの内面の恥部の一部であることを承知しながらも、それではそれにかわりうるものをわれわれは、いまもっているのか。
 散りゆくものの美しさに酔うことで安心してはならぬが、散りゆくがゆえに美しいとする思いを打ち消すことができるか。この思いを超克するものが発見できぬかぎり、それが狂であれ、愚であったとしても、私はそこに回帰するしかない。
 これまで私は多くの人物を研究の対象にしてきた。社会運動家もいれば、作家も学者も、思想家、宗教家もいた。これらの人たちは、それぞれ独自の世界をもち、独自の思想を創造しながら生きた。同じ方向をむいてはいない。共通したものがあるとすれば、それは日本の近代化のなかで、もがき苦しみ、果敢に闘い、挫折し、敗北していった人たちであるということである。なかには、荒波をくぐりぬけ、巧妙に生をつないだ人もいる。
 本書では第一部として、橋川文三、村上一郎、竹久夢二、岡倉天心、柳田国男に照明を当ててみたいと思う。
 まず、『日本浪曼派批判序説』を著した橋川文三については、昭和維新と日本浪曼派、そして保守主義にふれた。橋川に情念を生み出させたものはなんであったのか。
 次は『北一輝論』『草莽論』で評価の高い村上一郎をあげる。村上の草莽はいよいよもって、これから静かに深く潜行してゆくであろう。
 竹久夢二については、彼の描く弱々しい女性が、細井和喜蔵の『女工哀史』に登場する女性に、どこかつながっているように私には思える。(このことは秋山清も指摘している)また、夢二が都新聞に連載した「東京災難畵信」(二十一回)に着目し、関東大震災の直後の惨状をどのように伝えたかを掘り下げることによって、夢二の社会認識の鋭さに注目した。
 福沢諭吉とある意味で対極にあるとされる岡倉天心のアジア認識にも注目した。この彼のアジア認識は、いまもってなに一つ解明されていない。
 そして、最後は柳田国男の故郷喪失がナショナリズムにつながっていくことを指摘した。
 ここまでを第一部とした。第二部には次のようなものを配した。
 その一つは「祖先崇拝と御霊信仰」である。日本人が日常的に大切にしている信仰の一つに祖先崇拝があることはいうまでもないが、それとは別に、祀ってくれる人は誰もなく、彷徨い続け、永久に祖霊になれない霊がある。この霊の恐怖のために、その霊を鎮める信仰が生まれる。
 「ふたたび『教養』を考える」では、戦後の新制大学の基本理念の大きなものに「教養」の問題があった。しかし、時代の流れは、専門教育優先で「教養」は後退の一途を辿った。今こそ、大学教育の基本的理念としての「教養」を浮上させねばなるまい。
 「阿呆のつぶやき」は、ある文芸雑誌の編集後記を集めたものであるが、これは私の精神史の一面でもある。
 いずれのときに生きようとも、日本の近代とあるいは旧習と深く強くかかわりながら、私たちは死闘を演じ続けることにかわりはない。
 本書を読んでいただく人たちに、私は本当に期待したい。
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