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75歳・心臓身障者の日本百名山・百高山単独行
真木 太一
1,800円+税
一般書 登山記録 / 並製 A5 / 176頁 カラー口絵8頁
狭心症を含め4 度の大手術を乗り越えて、70 歳を目前に一念発起、日本百名山・百高山踏破を目指した実に270 回にも及ぶ山行の全記録。
1960 年、高校時代の石槌山(天狗岳1982m)初登頂から
細々と始まった私の登山は2014 年以降爆発的に増え、2016 年9 月3 日、羅臼岳登山で日本百名山を踏破、2018 年9 月には日本百高山踏破を果たす。
特筆すべきはそのほとんどが心臓身障者となってからであり、70 歳を過ぎてからであり、単独行であったことである。
2023.10.19
(11)開腹手術後の百高山復帰年の登山
2013年4月(国際農研異動・九大名誉教授・学術会議連携会員)~12月(国際農研・同連携会員):
2013年4月13日(筑波山):(車、妻)つつじヶ丘より筑波山ロープウェイで筑波山(女体・男体山)に登った。丁度満開の林床に咲く可憐なカタクリの花を筑波山では初めて鑑賞した。1月手術の病上がりで、見に行けた事自体に生き甲斐を感じ嬉しかった。
6月11~12日:(車、るり子)11日つくば3時発、日光・中禅寺湖−奥日光−金精峠−片品・戸倉(第2P、弁当忘れ)からバスで鳩待峠8:50着発、水芭蕉を沢山見た。山の鼻−東電小屋−赤田代で湯元山荘に着き、水量の多い時の平滑ノ滝・三条ノ滝を見て16:30戻って冷泉温泉小屋に泊まった。夜に雨が降り2時頃は満天の煌めく星空だった。12日6:45発、見晴から山越で尾瀬沼(1660m)に行き、沼の景色に和み北回りで長蔵小屋に着いた。食堂が休みで即席麺を食べた。三平峠越で大清水に出てバスで戸倉に下り、15:30発で金精峠を越えて20時帰着した。娘と尾瀬を歩いて自然に癒やされ、病上がりの体力試しで、山歩きにかなり自信が付いたが、一層精進せねばと思った。弁当を忘れた事で梅のお握りは3日間持つ事を知り、以降の登山で役立った。
6月28日(筑波山):登山の足慣らしで手術後2回目だった。9:00御幸ヶ原コースで男体山に登り、女体山から白雲橋コースで14:30下山した。体力がかなり復活したと推測された。
2013年7月22~25日(悪沢岳-中岳-赤石岳):(車)22日つくば4:50発、東京経由、静岡でレンタカー4輪駆動レガシィに乗り換えて筑波大演習林で12時頃に入山許可証を受領した。沼平ゲートを通って奥地の椹島ロッヂに行き14時頃鍵を受取って、木賊橋近くの東海製紙社道ゲートにやっと着くが、鍵が開かないので引き返す途中で偶々開け方を知る人に出会って開けてもらった。15時頃ゲートで直ぐ門番マムシに遭遇したがそっと横を通った。東海製紙社の凹凸山道の急坂を登坂して駒鳥池近くの同社P(2400m)に15時半頃着き、登山口を捜し当てて登り千枚小屋に16:10に着き泊まった。手術後の思い切った初本格登山だ。23日4:50発、黙々と登り、人は少なく千枚岳(2880m)−丸山(3032m)−悪沢岳(荒川東岳3141m6位、名32高27)−荒川岳(2973m)−中岳(荒川中岳3084m13位、高28)(南ア中岳は同標高で北ア中岳より僅低)−前岳(3068m)の見事に高山の連なる山々を縦走して荒川小屋に着いたが、10時なので十分赤石岳まで行けると思い小屋を出て大乗寺平に下り、小赤石岳(3081m)から赤石岳(3121m7位、名33高29)に喘ぎながら登り、霧の中13:30赤石岳避難小屋に一番に着いた。翌日は天候が悪化するので荒川小屋まで戻った方が良いと言われたが、手術後初で足が痛く心臓も心配でもう気力もなかった。反対方向に歩いていた皇族方の道案内をした人達は遅れて加わり小屋は8人になった。17時の夕食が終わる頃にハーモニカで合唱が始まり思いがけず至福の時を過ごした。その後の多くの山ではスライド・ビデオを見る機会はあったが歌声喫茶のような雰囲気は初めてで楽しく、登山と歌の両方で手術後の回復の喜びを実感でき、貴重な一時だった。18時過ぎに霧が晴れ皆外に出た。管理人の案内で頂上に登ると幾重にも重なる山並みと共に富士山・荒川岳等全山が見え感動した。夜は風が強くなり高山の澄んだ空気の中、下界の光と煌(きら)めく星空を眺め1人感嘆し、山の虜と化した。24日4:30発、頂上経由はあの道と教えてくれて出たら、初使用のストックを忘れ直ぐ引き返すと管理人に、おいおいと言われた。僅か20m差の頂上は霧に霞んだ。小赤石岳を越え、途中富士山が見えた。汗で下着を脱いだ後9時頃に前岳で雨がポツリと来てから約3mm/hの本降りとなり、中岳は風雨の中を歩き、頭の雨具カバーが風で外れて帽子が濡れながら歩いた。荒川岳の石仏で頭だけ雨を避け一休みしたが、途中、悪沢岳付近では濡れた帽子の水が首に入り、頭首が冷えるので継続歩行の苦難を体験した。丸山−千枚岳で小降りになり11時頃千枚小屋に着いたら止んだ。電話が通じる内に東海製紙社に連絡し、特別な山道なので、もし17時までに椹島に着かない場合の対応を依頼した。12:30にPに下り着替えた。丁度Pには消防救急パトカー3種が来ており、滑落者搬送作業中だった。車で先に下り救急車に道を譲り、木賊橋ゲートに着き鍵を開閉して椹島ロッヂに14時無事下山した。携帯電話不通のためロッヂに電話連絡を頼み泊まった。25日6:00発、ロッヂより下り沼平ゲートを越えて駿府城址を見て静岡で車を乗換えて東京経由で17:15帰着した。
縦走の丸山、悪沢岳、荒川岳、中岳、前岳、小赤石岳、赤石岳は3000m級の高山であり、手術後の大変印象に残る登山となった。発端は筑波大農林技術センター勤務中に演習林(山岳科学センター)が静岡県井川にあり訪問したが、畑薙ダム(沼平)−椹島の入域制限区域内への許可証が演習林で得られるため、人工降雨や風と雲移動の研究推進上、有益であるので使わせてもらった。かつ同制限域内でも特に東海製紙社道を利用すると標高2400mまで入れるため、特別に許可(有料)を取って入った。その林道は急傾斜の悪路であるため、乗用車(トヨタ・シエンタ)では丁度同じ車種を利用している担当者の話として、車が可哀想だと言うので4輪駆動車を勧められた。トヨタのランドクルーザーを希望したが、研究所側の問題で借りられず、スバルの4輪駆動車レガシィになった。それにしても病上がりで危険を押してよくもまあ登山できたものと我ながら大いに感心し安堵した。帰宅翌日、アキレス腱の痛みで病院に行ったが、経過見で相当長く痛かった。
2013年8月9~12日(聖岳):(車)9日つくば5:30発、東京−新東名・新静岡から12時に筑波大演習林で許可証を受け取って畑薙ダム・沼平ゲートを通って2度目の椹島ロッヂに行き泊まった。10日5:30発、聖岳登山口の近くまで車で行き6:00に登り始めた。聖岳の懐に入る感じで聖沢吊橋を渡り、滝見台からは東・奥聖岳が、千尋の深い谷(谷底に2本の滝も見えた)を挟んだ右側によく見え、高山に登っているのだと実感して喘ぎながら聖平小屋に13:10辿り着いた。夜に満天の星影を見たが、便秘でかつ100m先の遠い3回のトイレ(宿泊山小屋で最長の距離)は苦痛だった。11日4:30発、汗掻き後に風が強く寒くなり手袋もした。小聖岳(2662m)からの難所を越え、①聖岳(前聖岳3013m21位、名34高30)に8時頃着き赤石岳・大沢岳・上河内岳の素晴らしい稜線の写真を撮った。庭園のような僅かに上下する道を通って奥聖岳(2978m)に行き頂上の窪地で寝っ転がって小一時間寝たが、暖かかった。トリカブトと菊科マルバダケブキは多いがニッコウキスゲは絶滅し枠内で保護されていた。11:45聖平小屋に帰り連泊した。連泊者にはおでんが出たが便秘では却って苦痛で、何度ものトイレ通いでも解消せず。12日便秘と霧で遅らせ6:00発、直ぐ晴れて滝見台で眺め、聖岳吊橋を渡って10時登山口に下山し、車の人となり沼平ゲートを出て高速新静岡で入った。清水Pの和式トイレ(無空調)で汗だく、便秘解消してほっとした。東京では渋滞し雷雨だった。20:45帰宅した。
8月20~22日(塩見岳):(車)20日つくば5:00発、東京−伊那で出て高遠城址公園(桜の根接ぎ法による老化回復)を見て、当日に三伏峠(日本最高峠2580m)行きを思い付き塩見岳方面に行くが、カーナビが利かず細い複雑な林道を通って11:50鳥倉林道ゲートに着き、休憩して歩き始め13:00鳥倉登山口に着いた。炎天下の体力消耗でバテた。特に8合目からきつかったが頑張った。その頃電話が通じ三伏峠小屋に宿泊を申し込み16:10着いた。21日5:10発、ハイマツのある三伏山(2615m)から本谷山(ほんたにやま)(2658m)を順調に越え、やがて八ヶ岳北方縞枯山の縞枯れ(樹林の枯死・成長が線状に移動・更新する現象)に似たシラビソ林を実感しながら登り、9:00塩見小屋に着いた。直ぐ出て、天狗岩を経て風で寒くなりヤッケを着て①塩見岳(西峰3047m16位、名35高31=東峰3052m)に登り感激を味わった。一度北俣岳(2920m)に下ってから登り返して、ピストンして塩見小屋に13:30に帰った。まあ順調に登れて念願叶い満悦だった。赤(チャート)・緑・白銀色の小石を拾った。お握りを3時に食べたので夕食の御飯はほとんど食べられず。トイレはお丸でビニール袋付だった。敷布・毛布3枚と枕でよく寝られた方だ。22日朝食は一定量美味しく食べた。5:20発で森林内を調子良く下り本谷山・三伏峠を越えて鳥倉ゲート10:10着だった。下山してから中央構造線博物館・ふるさと館を見て、数km離れた場所の露頭では川を素足で渡って断層(ホッサマグナ糸静線)を見た。12時高速松川で入り駒ヶ根は渋滞、東京経由で21時帰着した。アキレス腱痛は続き長期になった。
2013年11月3~6日:3日バスつくば4:47発、羽田−出雲(レンタカー)から出雲神社に行き雨中を参拝して、大田から石見銀山(約400m)に行き雨中を1km歩いて世界遺産センターを見学。別子銅山より規模は小さく感じた。三瓶山(さんべさん)が少し見えた。島根県立三瓶自然館(約600m)に入り、新館の三瓶小豆原埋没林(巨木林)は印象的だった。大田市街に戻りスカイH大田に泊まった。4日日(ひの)御崎(みさき)で洞窟を見て、宍道湖西岸なぎさ公園に寄り、出雲空港で車を返して隠岐空港に着いた。レンタカーを借り隠岐島(島後)では西郷・玉若酢命神社の八百杉を見て島中央部に入り道路脇のかぶら杉を見て、銚子ダムより山中に入り岩倉(約600m)の乳房杉の巨樹を周回し鋭気をもらい写真を撮ったが迫力あった。東に下り布施海岸(浄土ヶ浦)を見た。小島が綺麗だった。再び自然回帰の森を山中に入り大山神社から登って岸壁のトカゲ岩を見た。島の上からは半島と島々がよく見えた。下って白島海岸を歩くと松枯れが激しかった。北海岸ではローソク島を見た。釣人に釣り方を教えるから島に移住しないかと誘われた。夕方になり西海岸を走って西郷に戻り旅館松浜に泊まった。5日布施海岸で春日神社(黒松・海岸林)を見て空港南で西郷岬灯台・白崎と大銀杏を見物、西郷港で車を返し、船で西ノ島別府港に着きレンタカーを借り、西ノ島(島前)北西部の国賀海岸では自然の芸術品である通天橋・観音(ローソク)岩・摩天崖は圧巻だった。南東部で黒木神社・黒木御所跡を見てH隠岐に泊まった。6日再度通天橋を訪れ、象岩(海岸)を歩いた。西ノ島別府港で車を返し、船で西郷港に着きタクシーで隠岐空港に移り大阪−羽田で19:50帰宅した。
2013年11月15日(筑波山):(車、妻)つつじヶ丘のロープウェイで筑波山往復、晩秋の風情を楽しんだ。
2013年は20山に登り、百名山35、百高山31で30山を越えた。