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書籍出版 海風社 書籍案内

  • 南島ボートピープル 奄美近現代ー出稼ぎ・移民考
  • 南島ボートピープル 奄美近現代ー出稼ぎ・移民考

    原井 一郎

    2,400円+税

    南島叢書100 / 並製A5 / 320頁 / 2024/8/31初版

    ISBN978-4-87616-069-3

    書評 南海日日新聞2024/9/2「奄美の出稼ぎ・移民を克明に」
    書評 西日本新聞2024/10/19
    書評 週刊読書人2024/10/25号「奄美を収奪する日本植民地ー資本主義」

    歴史資料から抜け落ちた約1世紀に及んだ南島民の流民史を膨大な資料・参考文献の詳細な読み込みと当時を知る人たちへの丁寧な取材によって解き明かした渾身の記録文学の誕生。
    大都市出稼ぎ・海外移民で、島民は資本による搾取と、都市生活における迫害・排斥に晒されながら生き抜き、今日に至っている。
    「偏見」「差別」がどのように生まれ、なぜ宿痾のようにつきまとったか、同時にそうした苦悩を負わせた責任を過去のものとせず、現代に問い直し、同様な今日の外国人労働者差別、新たに創生される弱者・貧困問題についても俎上に載せている。

    2024.08.07

南島ボートピープル 奄美近現代ー出稼ぎ・移民考

南島ボートピープル 奄美近現代ー出稼ぎ・移民考

原井 一郎

2,400円+税

南島叢書100 / 並製A5 / 320頁 / 2024/8/31初版

はじめに
 「サトウキビのあるところ、奴隷あり」は黒人の歴史家にして、トリニダード・トバゴの初代首相エリッ
ク・ウィリアムズ(1911〜81年)の知られた言葉だ。ウィリアムズは被支配者の視点からカリブ海域の歴史を見直し、①砂糖産業が奴隷制度なしに成立しえなかったこと、②英国の資本主義の発展にいかに奴隷制度が「貢献」したかを、その著『資本主義と奴隷制』で力説している
 人類史上のエポックの一つといわれる「産業革命」(1760〜1830年代)。その嚆矢になった英国は、世界に冠たる大帝国に躍進するが、なぜ産業革命は英国で起きたか、の起源は必ずしも明らかでない。高名な歴史家の多くが、「イギリス人のピューリタン的勤勉性と合理主義精神による」と主張するのに対し、ウィリアムズはこれを否定、「奴隷制度によって得た莫大な収益こそ、英国を産業革命に導いた」と結論づけている。同時にその代償もまた大きく、アフリカ黒人約940万人(奴隷貿易研究者フィリップ・カーティンの分析)が売買され、多くはなお貧困・差別を引きずり、アフリカそのものも内戦や飢餓が続いている。
 この砂糖史に似た状況が、日本では奄美群島(鹿児島県)に存在した。17世紀末に薩摩藩によって黒
糖生産を強制され、七公三民ともいわれる凄まじい収奪で島々は貧窮化。飢饉で大量の餓死者を生み、豪農に身売りする債務奴隷ヤンチュが人口の約3割にも達し、逃散や一揆が続いた。薩摩藩は奄美からの黒糖収奪で赤字藩から脱し、その蓄財による軍事力で幕府に対抗、明治維新の立役者になった。

 しかし待望の維新が成り、新政府が奄美の〝黒糖地獄〟からの解放を宣しても、守旧勢力によって唯一の換金作物・黒糖の自由売買が阻まれ、ヤンチュ解放も一部に留まった。島民による血みどろの近代化闘争を経て、ようやく遅れた維新が成るが、今度は砂糖商人の前貸しで膨大な借金漬けに。前途を失い、食い詰めた赤貧者の脱出路になったのが、〝東洋のマンチェスター〟に急成長した、阪神工業地帯への出稼ぎだった。かくして大正期には年間5万人を超える、凄まじい人口流出が生じ、さらにブラジルや南洋群島、戦時中は満蒙開拓へ多くが旅立ち、戦後も米軍統治下で基地オキナワへの脱出が続いた。
 その明治末から生じた流民化、大都市出稼ぎ・海外移民で、島民は資本による搾取と、都市生活にお
ける迫害・排斥に晒されながら生き抜き、今日に至っている。約1世紀に及んだ南島民の流民史。その苦悩の体験を取材、「偏見」「差別」がどのように生まれ、なぜ宿痾のようにつきまとったかを考察した。同時にそうした苦悩を負わせた責任を過去のものとせず、現代に問い直し、同様な今日の外国人労働者差別、新たに創生される弱者・貧困問題についても俎上に載せる。
 さて、かのトリニダード・トバゴである。1962年、ようやく英領から独立を果たすが、首相ウィリアムズは国民への餞はなむけにこう語りかけている。「人民が自身の歴史、自身の過去に関する適切な知識を持たずに正しい自立の途を歩むことはできない。インドやアフリカなど地域を問わず、植民地における民族運動は、まず宗主国の歴史家の供給する歴史を書き改めること。宗主国が無視し、看過したまさにその地点において、歴史を書くこと、それこそが求められている」
 私たちは地域の歴史を手織る労苦を惜しまなかったろうか。この拙い論考は奄美移民考であると同時
に、そうした底意を込めたものであることをお汲み取りいただければ幸いである。